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全身の骨のひとつひとつをばらして削って組みかえるよりは、一度死んでやり直したほうが早いだろう。
わたしはたぶん生まれかたをまちがった。だからなんだかもうやり直したいんだ、と、常日頃から思っています。治したい。まちがっているところを、ぜんぶ。
骨からなおしてくれるクリニックはないのかな。骨から、細胞から、わたしのなにもかもぜんぶひとつをひとつを。
かわいいと、かわいくないのあいだにあるスラッシュを、食べちゃいたい。
と、星名メイ(⒕)@非実在系まほう少女☆は呟いて、魔法のステッキよろしく右手のポッキーを一振りした。
「何? スラッシュ?」
聞き返すと彼女は肯いて、ピーチピンクのグロスがつやめく唇を引き上げた。それから左手で握りしめた赤い水玉のマグカップにポッキーを突っ込んで、ぐるぐるにかき混ぜ、はいっと手渡してくる。異様に甘いにおいを立てるそれに嫌な予感がしながらも黙って受け取ると、中は星形のカラースプレーやアラザンでびっしり埋めつくされ、いれられている液体が何なのかさえ判別できなかった。
「うげっ、何これ……」
「ココア」
絶句している私にかまうことなく、彼女は傍らに散乱するお菓子の袋からマシュマロをひとつ、ふたつ取り上げて、ぽいぽいっとカップの中に放り込んできた。それからさらにもう一度、ポッキーでかき混ぜて、ハイ完成、とばかりに微笑みを強くする。ヘーゼルアイが嬉しそうにこちらをみつめる。カップの中、揺れるカラフルなつけあわせ(?)の隙間からのぞくブラウンで、中身は本当にココアらしいとかろうじて判別できた、が、飲みたくない。
しかし彼女はやたらカラフルなココアを一杯提供したことで、訪問者たる私へのおもてなしは終了したとみなしたらしく、座ったままくるりと背を向けて、背後のパソコンに向き直ってしまった。なぜかブラウン管のままの、大きくてごつい、薄ピンクのモニター。先っぽが溶けかけたポッキーをしゃくしゃくと咀嚼しながら、流れてゆく画面を一心にみつめる、少し猫背の彼女。ちいさなからだ。背中に垂れてうねるパステルレインボウの髪は、床につきそうなほど長い。
これが、この部屋でみるいつもの光景、だった。
都内某所のマンション、エレベーターで降りる地下一階。常に暗い廊下を少し進んで突き当りの部屋、扉を開けると、そこは、真っピンク。彼女の世界。めちゃくちゃに垂れ下がった白いレースのカーテンをかき分けても、かき分けても、ピンク、ピンク、ピンク。天井につり下がっているのは、蛍光ピンクのシャンデリア。フローリングの床に乱雑に散らばる服、雑誌、本、美少女フィギュア。色とりどりの風船。ケーキのかたちをしたアクセサリーボックス。天蓋つきベッドの上にはぎっしりとぬいぐるみ。薄ピンクに塗装された壁は花柄の布やカラフルなリボン、レースの束、ガーベラの飾りのついたハンガーにピンクのワンピース、ごてごてした額縁にいれられたアイドルや美少女アニメのポスター、などなどに覆われ、それらすべてにまたがるように飾られた星型のライトが、ピンク、青、白、黄色とせわしなく明滅していた。
カーテンをかきわけた一番奥、うっそりと薄暗い片隅に、彼女はいる。かえって足をとられそうなほどふかふかで毛羽立った、コーラルピンクのハート形マットの上に、猫足の白いローテーブルがある。小さなそのテーブルをほとんど占領してしまう、古臭いブラウン管のモニターは、ペンキで薄いピンクに塗られ、その前で体育ずわりをしてネットの海を彷徨っているのが、猫背の彼女。星名メイ。は、ハンドルネーム。本名は知らない。職業はアイドル(在宅)。あと、まほうつかい。⒕歳だって言うけど絶対嘘だ。でもばからしいから何も言わないことにしている。
私が彼女について知っていることはそう多くはない。ここを訪れるときはだいたい彼女に呼び出されたときなのだが、彼女はほとんど私の相手をせず、パソコンをみつめたまま、独り言みたいな呟きをとうとうと聞かせてくるだけだ。私はいつも最奥の彼女のところまで辿りついたら、立ち尽くしたまま、体育ずわりの彼女をじっと見下ろして、たまにちょっかいをかける。でもたいていはうっとうしそうにするだけでやっぱり相手をしてくれないので、適当なところで切り上げて、アトラクション施設みたいな安っぽいファンタジーに満ちた部屋をあちこち探索してみたりする。散らかったこの部屋で何をしても彼女は怒らないけれど、どうしても触ってはいけないものはあった。
パソコン。それから、姿見。ふわふわした部屋の中、普段は薔薇色の布で覆われている姿見だけ、異様なほど武骨で、古びていて、そっけなくて、奇妙な存在感を放っているのだった。
女の子は、つやつやで、ふかふかで、つるつるで、さらさらで、ぷるぷるで、ぴかぴか。
ネット上ではやっているから欲しくもないのに買った星形のビーズネックレスは安っぽくてとてもつけてらんない。でも写メってかわいく加工して「こんなの買いました*カワイイ*」ってアップするぶんにはちょうどよかった。
もっと記号的でわかりやすいカワイイがほしい。模倣して加工して量産できるように。
インターネットコスモスに浮かんでいるわたしはとびきりの美少女で、かわいくて、おしゃれで、個性的で、年を取らない。まほう少女で、みんなのアイドル。ここでならわたしは生きていける。架空世界の夢はとっても甘いのです。絡めとられて、身動きできないくらいに。とてもとても甘い。べったりと。
星名メイ。⒕歳。銀河系第9惑星からやってきました。甘いものしか食べません。
食べ物も服も本も雑貨も、なにもかも通販で済ませてしまう彼女は、いわゆる引きこもりなのだと思う。
一度、なぜ部屋から出ないのか訊いてみたことがあるけれど、「喪に服しているの」という大変彼女らしい返答とともに作りこまれた困り顔を披露してきたので、会話を打ち切った。
「プロデューサー、クッキー買ってきましたよー」
いつも通り地下一階ひみつの部屋を訪れた私は、無限につづくふすまみたいに次々現れるレースのカーテンをめくりつづけ、ようやく最奥までたどり着いた。言いつけ通り買ってきた最近流行らしいクッキー(通販はやっていない店のもの)を突き出すが、彼女はパソコンから顔をあげない。ちっとも嬉しそうじゃない横顔で「ありがと」と言ったきりむっつりと画面をみつめている。なにがそんなに不満なのかと、クッキーの箱を開けながらパソコンを覗き込むと、黒いショートヘアの女の子が画面いっぱいに笑っていた。子猫みたいにくりくりした茶色い瞳と、それをふちどる長い長い睫毛。
「かわいい」
思ったままのことを呟いた瞬間、ものすごい勢いで彼女が振り返った。首が転げ落ちそうなほど、ぐりんと。
久々に間近でみた彼女の顔。パッと見小中学生にも見えるようなひどく幼い風貌をしているのに近寄ってよくみると白い肌の表面でファンデーションが揺れ、ぎょっとするほど大きな瞳はきらきら輝きながらも生気がなく、子どもみたいに細くまるい肩から伸びる首は思いのほか太い。
お腹のあたりまである長い長いウェーブヘアは、パステルのピンクとパープルと水色とイエローが入り混じった、オーロラみたいな、アイスクリームみたいな、夢のような淡い色。つやつやした分厚い前髪と、やけにくっきりした二重のもと、カッと見開いた瞳の色は、今日は、ライトグリーン。ガラス玉みたいにきれいで暗い瞳。
「クッキー!」
と、パステルカラーの少女が掠れた声で叫ぶので、私は開封した箱を差し出した。乱暴に伸びてきた指先のペールピンクのネイルは、色合いが淡すぎて日本人的な手の色からは浮いてしまい、死人の爪みたいにみえた。
カラフルにデコレーションされた星型のアイシングクッキーを、ボキボキとまずそうに噛み砕きながら、彼女は再び画面をみる。だらだらと流れていく青い世界。ハートのかたちをしたピンクのマウスを壊れそうなほど握りしめ、右心房をクリックする。パッと広がった画像は、さっきのショートヘアの少女。今度は鏡に映した上半身を自分で撮影したもので、めくりあげた白いTシャツからのぞくウエストは、アニメキャラクターみたいにかっくりとくびれていた。彼女は無表情のままものすごい速さでキーボードを叩き、【うみ様ほそい! かわいい! だいすき~】とコメントをつけた。氷のような無表情と、添えられた笑顔の絵文字。マウスを動かして、次の画像をクリックする。アップになった二枚目は、顔のアップ。わざわざ「すっぴんでごめんなさい」と書いてある通り、顔立ちはさっきよりさっぱりして見えたけれど、変わらずかわいらしくて、もとが整っていることがよくわかる肖像だった。
バキッと音がして、ラズベリーピンクの唇からクッキーが半分落ちた。
「あぁ」
ぼとっと落ちるような声音だった。不摂生のせいか異様に赤い、リンゴ飴の色をした舌先がちろりとのぞいて、口の端のクッキーの粉を舐めとる。それから突然、見開かれたグリーンの瞳から雫がしたたって、やけにぷっくりした涙袋を滑り落ちて顎先まで流れていった。意外としっかりした顎の骨にたまった涙は、ファンデーションをふくんで汚らしい色だった。両目から垂れたふたすじの涙のあとだけ、メイクが落ちて、メッキが剥げるように少しだけ、素顔がのぞいていた。
ぼろぼろの素顔にかけたリボン、まぶしたパール。
彼女は、まほうつかい。
リストカット跡のない手首を隠すために、ばんそうこうをしています。
自撮りが盛れない日は、この世の終わりみたいな気分になる。たまに盛れたと思って悦に浸ってもあの子には遠くおよばない、比べるのもおこがましいぐらい。住んでる世界がちがうのだ。
インカメラのフラッシュを浴びるたび、自分がひどく傷ついていく感じがした。これがわたしなのか。わたしなのか。これが。これがわたし。こいつと一生生きていかなくちゃならない。ナルシスティックな自傷行為。おうちアイドルのぽっかり空いた傷はふさがらない、キキララのばんそうこうを貼ったって、ツイッターでいくらかまわれたって、ふさがらない、ぜったいわたしからは逃れられない。
架空世界の甘い海に溺れていられたのは最初のうちだけで、時間がたつにつれてそうでもなくなって、ウィッグとカラコンとメイクと加工アプリで演出したわたしのプロマイドをいくら流出させたって、お気に入りもリツイートも伸びないのだった。投下したその一秒後にはもうアイフォンに親指をスライドさせてシュパッと音を立てて更新されるツイッターの画面を眺めても眺めてもなかなか通知が来ない。パソコンで更新ボタンを連打したって同じ。似たようなことをしてるあの子やその子はウソみたいにぐんぐん反応をもらってはかわいいかわいいともてはやされてどんどんフォロワーも増えて読者モデルとかスタイリストとか少女モノのカメラマンとかにもフォローされて有名になっていくのに、結局わたしはここでも負ける。現実でずたぼろになって虚構の世界でアイドルになったと思ったのに結局わたしはここでも地下の隅っこで有名アイドルのカバーソングを歌ってはヤリ目的の気持ち悪い独身男性だけがぱらぱら残って拍手とキレのないオタ芸を贈ってくれる(そうわたしはなぜか粘着質のネトストだけはやたらめったら多くて日に十回は卑猥なリプライがきます)、そんな感じでインターネット地下アイドル。星名メイ。⒕歳。まほうがつかえます。
アキハバラにも原宿にも居場所がなくて、インターネットでさえじょうずに生きられないなら、わたし、どこへ行けばいいのか。
わたしもそっち側に行きたかった。わたしもそっち側へ飛んでみたかった。
標本箱のピンは外れているのに重力からはのがれられない、ダイエットに失敗するわたしは重すぎて浮かんだままでいられない。
りんご三個分にならなきゃ。
美少女アニメのヒロインみたいな体型でなきゃ。
そっち側にいけない。飛んだままでいられない。
痩せたい痩せたいとぼやきながら口の周りに生クリームをべっとりつけている。堕落して墜落して見上げた先にひらかれている未来がみえる。中学高校大学社会人結婚。主婦。アンチエイジングのファンデーションと値段ばっかり高くて品のない口紅をべったり塗りたくった女。そんなのうそだ。
普通の未来なんか欲しくないよ。だって女の子なのに。
うっかりあるいはせっかく女の子に生まれてしまったので。
「今日はセーラー服キャスをやります」
ある日、いつも通りパソコンのまえで体育座りをしていた彼女が、突然そう宣言した。のっそりと起き上がって、ものが散乱するフローリングを足でかき分けて、現れた学校用の上履きに素足を突っ込む。先端がピンクのゴムで覆われたその上履きには、「ほしなメイ」と丸っこい文字による署名がなされている。ほぼ新品の白さだけれど奇妙に薄汚れているそれを引きずって、彼女は歩き出す。かかとの部分が余ってぱこぱこしていた。
立ち上がった姿をみて、彼女がこれまた珍妙な格好をしていることに気づく。美少女アニメのキャラクターがプリントされた、ぶかぶかの白いTシャツ。下には一見なにも履いていないようにみえたけれど、裾からちらりと紺色のブルマがのぞいていた。そこから伸びる、病的にほそくてすとん、とふくらみがないまっすぐな太ももは、ごつい黒革のベルトで絞めつけられ、ハートのかたちをした銀の金具が薄い肉に食い込んでいる様は、なんとも痛々しかった。
それだけでじゅうぶん人目をひくすがたなのだが、彼女にとってそれは普段着のようなものらしく、部屋の一角のハンガーラックまで歩いてゆくと、ものすごい勢いで衣装を物色しだした。これでもかとフリルがついた編み上げワンピースやリボンの散ったチュチュ、アリスブルーのエプロンドレスにメイド服、などなどの奥から出現した制服コーナーは、セーラー服だけでピンク、水色、白、パープル、ミントグリーンと五色もあって、そのなかから慎重に慎重に吟味した一着を、彼女は手に取った。やはりピンク。私の目の前に立ったまま、ためらいなくブルマの端に手をかけて一気にひきずりおとし、伸びをするように腕をあげてTシャツもぬいで、白地にチェリー柄の下着姿になった彼女は、そこで突然、停止した。
「に、にく……が……」
そういったきりわなわなわなわな震え出したので私はためいきをついて、床に放り出されたセーラー服を拾い上げた。今日はライトグレーの瞳を見開いてかたまっている彼女の頭からセーラーをかぶせ、リボンの位置を調整して、スカートもはかせようとしたがちっとも動かないのでおなかのあたりをえいやと押した。ホットピンクの毛糸のクッションの上にもこもこっと倒れ込んだ彼女の上に馬乗りになる。彼女はぎゅっと目を瞑って身をかたくしている。ゆるゆるの上履きが脱げてチェリーレッドのペディキュアがあらわになった素足をつかみ、片足ずつスカートに通していく。腰骨の上まで引き上げるとウエストを抱き込むようにホックを止めた。
「できた」
「にく……」
「ツイキャスは? やるんじゃないの?」
「あぁ、ニーソを……ニーソをはきます……」
彼女は上に乗っている私をおそろしく俊敏に蹴り飛ばしたあと百年生きた老婆みたいによろよろと起き上がって、ハンガーラックの隣にある白いチェストの引き出しを開けた。ぎっしり詰まっているカラフルで多種多様なニーハイソックスの中から白い薄手のものを選び出すと、何度もしりもちをつきながらもなんとかそれをはいた。どうせツイートキャスティングでは映らないのに。
半時間ほどしつこく鏡をのぞきこんで化粧や前髪を整えてから、彼女は配信を開始した。
【セーラー服きゃす☆星名メイ】
パソコンのモニターにたてかけたアイフォンのカメラをまえにして、彼女はしきりに前髪を触りながらどうでもいいことをぐだぐだと喋り、笑う。リクエストされたのか、おもむろにおもちゃのマイクを握りしめ、のどから絞り出すような裏声で歌いだす。調子っぱずれのアイドルソング。適度にかわいいメロディと歌詞。「かわいい顔で歌うのって案外むずかしいね」と、彼女は私にだけ聞こえるようにぼやいた。
【かわいいー】【初見です】【音痴www】【カラコンどこのー?】【なんか変】
流れてゆくコメントの中には、否定的なものもちらほらあった。それらを目にするたび、彼女は画面に笑顔を向けて喋りながら、映り込まない位置でノートに呪詛の言葉を書き殴る。アンドレ・ブルトンも真っ青の自動筆記だった。
そんな調子で一時間ほど経ったとき、呪文のようにつづいていたお喋りと自動筆記が、突然とまった。
【つかなんでうみちゃんと絡んでんの? ブスのくせに】
私がそのコメントを視認した瞬間、画面がブラックアウトした。
電源ボタンの上に指を乗せたまま、彼女自身も電源が切れたように、それきり動かなくなった。
全国のタワーレコードにあるような愛なんかいらない、だけど取り寄せするのもめんどうだから一生処女のまま。生まれたときからいろんなものを呪ってきたタイプのどうしようもない感じの女の子だからネット上でいっぱいちやほやされてないと無理、死にそう死にそう死んじゃいそうにさみしい。かわいいあの子が大好きで、かわいいあの子が大嫌い。大っ嫌い。骨からかわいいあの子が、細胞からかわいいあの子が、憎くて憎くてたまらない。はやく使い尽くされて失望されて墜落してしまえ。はやく、はやく、ただの大人になってしまえ。わたしはだあれも好きじゃない。自分以外は好きじゃない。
わたし、わたし、わたし、わたしが氾濫する。
あなた、あなた、あなた、あなたはどこにもいない。
醜い自意識に塗りつぶされて、わたしが、わたしが帰ってこない。
「提督ー、提督ー、生きてますー?」
両手でかかえるのがやっとなほど大きいケーキの箱を抱え、私はいつもの部屋に飛び込んだ。あのままぴくりとも動かない彼女が、このあいだのクッキーと同じ店のものを食べたがっていたのを思い出したのだ。
カーテンの向こうの彼女に近寄っていきながら、ケーキの箱を開けてみる。大きいサイズはバースデーケーキしか残ってなくて、カラフルなローソクが十四本、真ん中に「メイ」と書かれたハートのプレートがのっている。一人、(分けてくれたとして)二人で食べるにも大きすぎるそれを落とさないように気を付けながら、ひたすらカーテンをめくる。そして最後の一枚をめくり、数十分前と同じ姿勢のままの彼女がみえたところで何かにけつまずいた。すっころびそうになった私はケーキを守るのに必死で、目についたものにつかまってしまった。布を被った姿見に。
ずるりと音がして、薔薇色の布がゆっくりと落下していった。蜘蛛の巣のように盛大にひび割れた鏡面に、目を丸くしてこちらをみる彼女のすがたが映り込んだ。つまずいた原因らしい翼の生えた美少女フィギュアが転がっていって、彼女のつまさきにぶつかった。取り落としたケーキはうまいことクッションの上に落下して、多少崩れたけれど無事だった。
数秒遅れて、絹を裂くような悲鳴が地下室いっぱいに響いた。
「あの子とわたしのなにが違ったの? どうしてわたしはズレてるの?
顔? 体型? ファッション? 趣味? 運動神経? 性格? 声?
なに? なに? なに? なに? スラッシュはなに? どこ?」
スプリングローズの唇から、花びらが崩れるようにぼろぼろと言葉が零れ出した。
彼女はひざの上に顔をのせて震えている。そうしているとますますちいさくて、この世の住人とは思われないような独特の雰囲気が濃密に増した。
「どうしてわたしはあのなかでうまくやっていけなかったの? どうしてわたしは失敗したの? わたしのなにが違うの? わたしはどこでまちがったの?
スラッシュはいつ? なぜ?
生まれたときから?
どうしてわたしはうまくやっていけなかったの? どうしてわたしはこうなっちゃったの?」
顔をあげた彼女が見つめる先には、モニターがあった。この部屋では見慣れた青い画面。散乱する自意識の破片の下にならぶいくつものちいさな彼女。ばっちりきめた顔でかわいくうつった彼女。
乱暴にマウスのホイールを弾いて彼女はそのうちのひとつをクリックした。拡大される彼女。かわいい部屋でかわいいものに囲まれてアヒル口、それが画面いっぱいに広がった瞬間彼女はマウスをぶん投げて吼えた。
「あーっ! 死ぬ! 死ぬ! 死ぬ! 死ぬ! ブスだから死ぬ! もうやだ! もう生きていけない! ブスだからこんなせかいで生きていけない!」
がんがんがんがん画面上の自分を殴打するたびにそれは揺れ、波立ち、歪みながら彼女はどこまでもかわいくほほえみ、現実の彼女にも痣ができたりはせず。どこまでも乖離した彼女は、彼女であって彼女でなく、いびつなまほうで変身する、⒕歳のまほう少女。
――もう、なんだか、疲れた。私はずるずると床に座り込む。私は、彼女のために生まれ、彼女のために生きている。だけどもう。どうしてあげればいいのかわからない。
姿見に頭をもたせかけてぐったりしていると、彼女は突然、水をえた魚のように跳ね起きた。ブログを開き、猛烈にキーボードを叩き始める。
『今日 わたしのとくべつなおんなのこが とおくへゆきました
彼女は いちばんの友だちで ゆいいつの理解者でした
わたしはまた、ひとりぼっち
今までささえてくれてたみんな、ごめんなさい
わたしはもう耐えられそうにありません おくすり飲んでもぜんぜん眠れません
過呼吸がひどくてくるしい吐き気もとまらない
わたしなんかもう生きてる価値ない
なんでしんじゃったんだろう
ねえ なんで死「死んでねぇよっ!!!」
ひっくり返したケーキが宙を舞って、彼女の頭にそっくりそのまま降り落ちてべっちょりと潰れた。コットンキャンディのウェーブヘアからぼろぼろ落ちる生クリーム、苺、ローソク。私は彼女のきっちりそろってみじんも揺るがない前髪をひっつかんで死んだように光るグレーの瞳を至近距離で睨んだ。
「いーいかげんにしろっ!!」
半口開けた彼女がぱちくりとまばたきをすると上下のつけまつげが重たそうについてくる。
「こーやって部屋から出ないからそんなことになるんだ! 変なもんばっか食って! ネットばっかやってるからそんなことになるんだ! アカウント消せ! 外に出ろ! 日光を浴びろ! おまえは人間だ! 女の子である前に人間だ! 仮想空間じゃ生きれない! おまえは人間だ! 私とちがって人間だ! くそが! 生きろ! 今日も生きろ!」
ひとしきり叫んで、私は手を放した。どさっと倒れ込んだ彼女の瞳には涙がたまっていて、心底困り切ったという顔でぼんやりと、
「このせかいの外じゃ生きれない……」
と呟いた。
私は足で彼女を追いやって、パソコンの前を陣取った。マウスを操作して書きかけのブログを全削除し、ツイッターを開き、歯車のボタンを押す。アカウントを削除。すると彼女ががばっと起き上がって、わたしの腕にすがりついて、
「だめ!」
「うるさい」
「だめなの! わたしにはみんながいるの! わたしが消えたらしんじゃうって子までいるんだよ」
「大丈夫、誰も死なないから」
懸命に腕を引いてくる彼女を無視して、ハートのマウスを握り、
――本当に退会しますか?
問答無用。私は右心房をクリックした。
――アカウントは退会処理がされました。
こうしてインターネットコスモスから星名メイ(⒕)@非実在系まほう少女☆は消滅する運びとなった。八月二十四日の真昼間のことだった。
「……とりあえず、着替えておいで」
彼女の唇についた生クリームを親指でぬぐいとって、私は微笑んだ。
ねえわたし、あの子になれないわたしを許して。
制服が着れないならいやだとか日焼けするからいやだとかのたまう彼女を普通(?)のTシャツとスカートに着替えさせ、ウィッグもカラコンも外させ、なんとか外に連れ出すことに成功した。アカウントが消えたことであきらめがついたのか、彼女はそれほど抵抗せず、最終的にはされるがままになって、黙って私に手を引かれていた。
マンション地下一階の暗い廊下を抜け、エレベーターに乗り込む。中に取り付けられている全身鏡に自分のすがたが映った瞬間、彼女はぱっと目を伏せた。
「何かしたいこと、ある?」
柔らかい右手をそっと握りながら訊くと、
「ディズニーランド」
即答だった。ついさっきまで引きこもりだったとは思えない。
地上に到達したエレベーターから外に出て、エントランスを抜ける。ここまでは誰とも遭遇しなかったが、自動扉の向こうには、行きかう人々が見える。彼女は足を止め、じっとうつむいてしまった。
「ほら、行くよ」
私が強く手を引くと、彼女はよろけるようにしてついてきた。扉が開く。眩しく白い光が、あふれだしてくる。私が一歩踏み出し、つづいて、彼女も、一歩。
かすかに、甘い匂いがした。
「……冥?」
手のひらのあたたかさが一瞬のうちに消えた。驚いて振り返ると、そこには誰もいなくて、カランカラン……っと音を立てて、ピンクのこんぺいとうがひと粒、目の前を落下していった。
このせかいの外じゃ生きれない。
彼女の言葉が脳裏で甘く反芻され、わたしの意識は、ゆっくりと遠のいていった。
地下室にて。
ペンキがはがれ、ものがなくなって、あらわになったコンクリート打ちっぱなしの壁、フローリング。シャンデリアも消えてパソコンも消えて、暗いこの部屋の隅で、アイフォンの光だけが頼りだった。
流れてゆく、青い画面。わたしがいなくなっても変化のないせかい。
【うみちゃんが消えたらしんじゃうよ】
見慣れたアイコンの少女が、インターネット上の天使に向かって、しきりに話しかけている。あぁ、この子。わたしのことが一番好きだといったくせに。
量産型の少女たちは、同じようなすがたをして、宇宙空間の中を今日もかわいく泳ぎまわっている。無数の星クズのように。
そして、あらかた消費し尽くされたら、飽きられてしまう。
今日もかわいいね。いいな、メイちゃんみたいになりたいな。憧れです。もっと自撮りみせて。大好き。わたしの脳裏にいくつもの言葉がフラッシュバックする。そうして最後に脳裏を駆け抜けたのは、どこの誰とも知れない人から飛んでくる、卑猥な懇願。
わたしは服を脱いで胸の谷間を晒し、自分に向けてアイフォンをかまえた。
せっかく今この時代にこの場所にこうやって生まれたのに、このまま消費されずに終わるだなんて耐えられない。もっと消費されたい。使い尽くされたい。
もっと使って、もっと見て、もっと消費して。
どうかわたしのこと消費してください。
わたしはたぶん生まれかたをまちがった。だからなんだかもうやり直したいんだ、と、常日頃から思っています。治したい。まちがっているところを、ぜんぶ。
骨からなおしてくれるクリニックはないのかな。骨から、細胞から、わたしのなにもかもぜんぶひとつをひとつを。
かわいいと、かわいくないのあいだにあるスラッシュを、食べちゃいたい。
と、星名メイ(⒕)@非実在系まほう少女☆は呟いて、魔法のステッキよろしく右手のポッキーを一振りした。
「何? スラッシュ?」
聞き返すと彼女は肯いて、ピーチピンクのグロスがつやめく唇を引き上げた。それから左手で握りしめた赤い水玉のマグカップにポッキーを突っ込んで、ぐるぐるにかき混ぜ、はいっと手渡してくる。異様に甘いにおいを立てるそれに嫌な予感がしながらも黙って受け取ると、中は星形のカラースプレーやアラザンでびっしり埋めつくされ、いれられている液体が何なのかさえ判別できなかった。
「うげっ、何これ……」
「ココア」
絶句している私にかまうことなく、彼女は傍らに散乱するお菓子の袋からマシュマロをひとつ、ふたつ取り上げて、ぽいぽいっとカップの中に放り込んできた。それからさらにもう一度、ポッキーでかき混ぜて、ハイ完成、とばかりに微笑みを強くする。ヘーゼルアイが嬉しそうにこちらをみつめる。カップの中、揺れるカラフルなつけあわせ(?)の隙間からのぞくブラウンで、中身は本当にココアらしいとかろうじて判別できた、が、飲みたくない。
しかし彼女はやたらカラフルなココアを一杯提供したことで、訪問者たる私へのおもてなしは終了したとみなしたらしく、座ったままくるりと背を向けて、背後のパソコンに向き直ってしまった。なぜかブラウン管のままの、大きくてごつい、薄ピンクのモニター。先っぽが溶けかけたポッキーをしゃくしゃくと咀嚼しながら、流れてゆく画面を一心にみつめる、少し猫背の彼女。ちいさなからだ。背中に垂れてうねるパステルレインボウの髪は、床につきそうなほど長い。
これが、この部屋でみるいつもの光景、だった。
都内某所のマンション、エレベーターで降りる地下一階。常に暗い廊下を少し進んで突き当りの部屋、扉を開けると、そこは、真っピンク。彼女の世界。めちゃくちゃに垂れ下がった白いレースのカーテンをかき分けても、かき分けても、ピンク、ピンク、ピンク。天井につり下がっているのは、蛍光ピンクのシャンデリア。フローリングの床に乱雑に散らばる服、雑誌、本、美少女フィギュア。色とりどりの風船。ケーキのかたちをしたアクセサリーボックス。天蓋つきベッドの上にはぎっしりとぬいぐるみ。薄ピンクに塗装された壁は花柄の布やカラフルなリボン、レースの束、ガーベラの飾りのついたハンガーにピンクのワンピース、ごてごてした額縁にいれられたアイドルや美少女アニメのポスター、などなどに覆われ、それらすべてにまたがるように飾られた星型のライトが、ピンク、青、白、黄色とせわしなく明滅していた。
カーテンをかきわけた一番奥、うっそりと薄暗い片隅に、彼女はいる。かえって足をとられそうなほどふかふかで毛羽立った、コーラルピンクのハート形マットの上に、猫足の白いローテーブルがある。小さなそのテーブルをほとんど占領してしまう、古臭いブラウン管のモニターは、ペンキで薄いピンクに塗られ、その前で体育ずわりをしてネットの海を彷徨っているのが、猫背の彼女。星名メイ。は、ハンドルネーム。本名は知らない。職業はアイドル(在宅)。あと、まほうつかい。⒕歳だって言うけど絶対嘘だ。でもばからしいから何も言わないことにしている。
私が彼女について知っていることはそう多くはない。ここを訪れるときはだいたい彼女に呼び出されたときなのだが、彼女はほとんど私の相手をせず、パソコンをみつめたまま、独り言みたいな呟きをとうとうと聞かせてくるだけだ。私はいつも最奥の彼女のところまで辿りついたら、立ち尽くしたまま、体育ずわりの彼女をじっと見下ろして、たまにちょっかいをかける。でもたいていはうっとうしそうにするだけでやっぱり相手をしてくれないので、適当なところで切り上げて、アトラクション施設みたいな安っぽいファンタジーに満ちた部屋をあちこち探索してみたりする。散らかったこの部屋で何をしても彼女は怒らないけれど、どうしても触ってはいけないものはあった。
パソコン。それから、姿見。ふわふわした部屋の中、普段は薔薇色の布で覆われている姿見だけ、異様なほど武骨で、古びていて、そっけなくて、奇妙な存在感を放っているのだった。
女の子は、つやつやで、ふかふかで、つるつるで、さらさらで、ぷるぷるで、ぴかぴか。
ネット上ではやっているから欲しくもないのに買った星形のビーズネックレスは安っぽくてとてもつけてらんない。でも写メってかわいく加工して「こんなの買いました*カワイイ*」ってアップするぶんにはちょうどよかった。
もっと記号的でわかりやすいカワイイがほしい。模倣して加工して量産できるように。
インターネットコスモスに浮かんでいるわたしはとびきりの美少女で、かわいくて、おしゃれで、個性的で、年を取らない。まほう少女で、みんなのアイドル。ここでならわたしは生きていける。架空世界の夢はとっても甘いのです。絡めとられて、身動きできないくらいに。とてもとても甘い。べったりと。
星名メイ。⒕歳。銀河系第9惑星からやってきました。甘いものしか食べません。
食べ物も服も本も雑貨も、なにもかも通販で済ませてしまう彼女は、いわゆる引きこもりなのだと思う。
一度、なぜ部屋から出ないのか訊いてみたことがあるけれど、「喪に服しているの」という大変彼女らしい返答とともに作りこまれた困り顔を披露してきたので、会話を打ち切った。
「プロデューサー、クッキー買ってきましたよー」
いつも通り地下一階ひみつの部屋を訪れた私は、無限につづくふすまみたいに次々現れるレースのカーテンをめくりつづけ、ようやく最奥までたどり着いた。言いつけ通り買ってきた最近流行らしいクッキー(通販はやっていない店のもの)を突き出すが、彼女はパソコンから顔をあげない。ちっとも嬉しそうじゃない横顔で「ありがと」と言ったきりむっつりと画面をみつめている。なにがそんなに不満なのかと、クッキーの箱を開けながらパソコンを覗き込むと、黒いショートヘアの女の子が画面いっぱいに笑っていた。子猫みたいにくりくりした茶色い瞳と、それをふちどる長い長い睫毛。
「かわいい」
思ったままのことを呟いた瞬間、ものすごい勢いで彼女が振り返った。首が転げ落ちそうなほど、ぐりんと。
久々に間近でみた彼女の顔。パッと見小中学生にも見えるようなひどく幼い風貌をしているのに近寄ってよくみると白い肌の表面でファンデーションが揺れ、ぎょっとするほど大きな瞳はきらきら輝きながらも生気がなく、子どもみたいに細くまるい肩から伸びる首は思いのほか太い。
お腹のあたりまである長い長いウェーブヘアは、パステルのピンクとパープルと水色とイエローが入り混じった、オーロラみたいな、アイスクリームみたいな、夢のような淡い色。つやつやした分厚い前髪と、やけにくっきりした二重のもと、カッと見開いた瞳の色は、今日は、ライトグリーン。ガラス玉みたいにきれいで暗い瞳。
「クッキー!」
と、パステルカラーの少女が掠れた声で叫ぶので、私は開封した箱を差し出した。乱暴に伸びてきた指先のペールピンクのネイルは、色合いが淡すぎて日本人的な手の色からは浮いてしまい、死人の爪みたいにみえた。
カラフルにデコレーションされた星型のアイシングクッキーを、ボキボキとまずそうに噛み砕きながら、彼女は再び画面をみる。だらだらと流れていく青い世界。ハートのかたちをしたピンクのマウスを壊れそうなほど握りしめ、右心房をクリックする。パッと広がった画像は、さっきのショートヘアの少女。今度は鏡に映した上半身を自分で撮影したもので、めくりあげた白いTシャツからのぞくウエストは、アニメキャラクターみたいにかっくりとくびれていた。彼女は無表情のままものすごい速さでキーボードを叩き、【うみ様ほそい! かわいい! だいすき~】とコメントをつけた。氷のような無表情と、添えられた笑顔の絵文字。マウスを動かして、次の画像をクリックする。アップになった二枚目は、顔のアップ。わざわざ「すっぴんでごめんなさい」と書いてある通り、顔立ちはさっきよりさっぱりして見えたけれど、変わらずかわいらしくて、もとが整っていることがよくわかる肖像だった。
バキッと音がして、ラズベリーピンクの唇からクッキーが半分落ちた。
「あぁ」
ぼとっと落ちるような声音だった。不摂生のせいか異様に赤い、リンゴ飴の色をした舌先がちろりとのぞいて、口の端のクッキーの粉を舐めとる。それから突然、見開かれたグリーンの瞳から雫がしたたって、やけにぷっくりした涙袋を滑り落ちて顎先まで流れていった。意外としっかりした顎の骨にたまった涙は、ファンデーションをふくんで汚らしい色だった。両目から垂れたふたすじの涙のあとだけ、メイクが落ちて、メッキが剥げるように少しだけ、素顔がのぞいていた。
ぼろぼろの素顔にかけたリボン、まぶしたパール。
彼女は、まほうつかい。
リストカット跡のない手首を隠すために、ばんそうこうをしています。
自撮りが盛れない日は、この世の終わりみたいな気分になる。たまに盛れたと思って悦に浸ってもあの子には遠くおよばない、比べるのもおこがましいぐらい。住んでる世界がちがうのだ。
インカメラのフラッシュを浴びるたび、自分がひどく傷ついていく感じがした。これがわたしなのか。わたしなのか。これが。これがわたし。こいつと一生生きていかなくちゃならない。ナルシスティックな自傷行為。おうちアイドルのぽっかり空いた傷はふさがらない、キキララのばんそうこうを貼ったって、ツイッターでいくらかまわれたって、ふさがらない、ぜったいわたしからは逃れられない。
架空世界の甘い海に溺れていられたのは最初のうちだけで、時間がたつにつれてそうでもなくなって、ウィッグとカラコンとメイクと加工アプリで演出したわたしのプロマイドをいくら流出させたって、お気に入りもリツイートも伸びないのだった。投下したその一秒後にはもうアイフォンに親指をスライドさせてシュパッと音を立てて更新されるツイッターの画面を眺めても眺めてもなかなか通知が来ない。パソコンで更新ボタンを連打したって同じ。似たようなことをしてるあの子やその子はウソみたいにぐんぐん反応をもらってはかわいいかわいいともてはやされてどんどんフォロワーも増えて読者モデルとかスタイリストとか少女モノのカメラマンとかにもフォローされて有名になっていくのに、結局わたしはここでも負ける。現実でずたぼろになって虚構の世界でアイドルになったと思ったのに結局わたしはここでも地下の隅っこで有名アイドルのカバーソングを歌ってはヤリ目的の気持ち悪い独身男性だけがぱらぱら残って拍手とキレのないオタ芸を贈ってくれる(そうわたしはなぜか粘着質のネトストだけはやたらめったら多くて日に十回は卑猥なリプライがきます)、そんな感じでインターネット地下アイドル。星名メイ。⒕歳。まほうがつかえます。
アキハバラにも原宿にも居場所がなくて、インターネットでさえじょうずに生きられないなら、わたし、どこへ行けばいいのか。
わたしもそっち側に行きたかった。わたしもそっち側へ飛んでみたかった。
標本箱のピンは外れているのに重力からはのがれられない、ダイエットに失敗するわたしは重すぎて浮かんだままでいられない。
りんご三個分にならなきゃ。
美少女アニメのヒロインみたいな体型でなきゃ。
そっち側にいけない。飛んだままでいられない。
痩せたい痩せたいとぼやきながら口の周りに生クリームをべっとりつけている。堕落して墜落して見上げた先にひらかれている未来がみえる。中学高校大学社会人結婚。主婦。アンチエイジングのファンデーションと値段ばっかり高くて品のない口紅をべったり塗りたくった女。そんなのうそだ。
普通の未来なんか欲しくないよ。だって女の子なのに。
うっかりあるいはせっかく女の子に生まれてしまったので。
「今日はセーラー服キャスをやります」
ある日、いつも通りパソコンのまえで体育座りをしていた彼女が、突然そう宣言した。のっそりと起き上がって、ものが散乱するフローリングを足でかき分けて、現れた学校用の上履きに素足を突っ込む。先端がピンクのゴムで覆われたその上履きには、「ほしなメイ」と丸っこい文字による署名がなされている。ほぼ新品の白さだけれど奇妙に薄汚れているそれを引きずって、彼女は歩き出す。かかとの部分が余ってぱこぱこしていた。
立ち上がった姿をみて、彼女がこれまた珍妙な格好をしていることに気づく。美少女アニメのキャラクターがプリントされた、ぶかぶかの白いTシャツ。下には一見なにも履いていないようにみえたけれど、裾からちらりと紺色のブルマがのぞいていた。そこから伸びる、病的にほそくてすとん、とふくらみがないまっすぐな太ももは、ごつい黒革のベルトで絞めつけられ、ハートのかたちをした銀の金具が薄い肉に食い込んでいる様は、なんとも痛々しかった。
それだけでじゅうぶん人目をひくすがたなのだが、彼女にとってそれは普段着のようなものらしく、部屋の一角のハンガーラックまで歩いてゆくと、ものすごい勢いで衣装を物色しだした。これでもかとフリルがついた編み上げワンピースやリボンの散ったチュチュ、アリスブルーのエプロンドレスにメイド服、などなどの奥から出現した制服コーナーは、セーラー服だけでピンク、水色、白、パープル、ミントグリーンと五色もあって、そのなかから慎重に慎重に吟味した一着を、彼女は手に取った。やはりピンク。私の目の前に立ったまま、ためらいなくブルマの端に手をかけて一気にひきずりおとし、伸びをするように腕をあげてTシャツもぬいで、白地にチェリー柄の下着姿になった彼女は、そこで突然、停止した。
「に、にく……が……」
そういったきりわなわなわなわな震え出したので私はためいきをついて、床に放り出されたセーラー服を拾い上げた。今日はライトグレーの瞳を見開いてかたまっている彼女の頭からセーラーをかぶせ、リボンの位置を調整して、スカートもはかせようとしたがちっとも動かないのでおなかのあたりをえいやと押した。ホットピンクの毛糸のクッションの上にもこもこっと倒れ込んだ彼女の上に馬乗りになる。彼女はぎゅっと目を瞑って身をかたくしている。ゆるゆるの上履きが脱げてチェリーレッドのペディキュアがあらわになった素足をつかみ、片足ずつスカートに通していく。腰骨の上まで引き上げるとウエストを抱き込むようにホックを止めた。
「できた」
「にく……」
「ツイキャスは? やるんじゃないの?」
「あぁ、ニーソを……ニーソをはきます……」
彼女は上に乗っている私をおそろしく俊敏に蹴り飛ばしたあと百年生きた老婆みたいによろよろと起き上がって、ハンガーラックの隣にある白いチェストの引き出しを開けた。ぎっしり詰まっているカラフルで多種多様なニーハイソックスの中から白い薄手のものを選び出すと、何度もしりもちをつきながらもなんとかそれをはいた。どうせツイートキャスティングでは映らないのに。
半時間ほどしつこく鏡をのぞきこんで化粧や前髪を整えてから、彼女は配信を開始した。
【セーラー服きゃす☆星名メイ】
パソコンのモニターにたてかけたアイフォンのカメラをまえにして、彼女はしきりに前髪を触りながらどうでもいいことをぐだぐだと喋り、笑う。リクエストされたのか、おもむろにおもちゃのマイクを握りしめ、のどから絞り出すような裏声で歌いだす。調子っぱずれのアイドルソング。適度にかわいいメロディと歌詞。「かわいい顔で歌うのって案外むずかしいね」と、彼女は私にだけ聞こえるようにぼやいた。
【かわいいー】【初見です】【音痴www】【カラコンどこのー?】【なんか変】
流れてゆくコメントの中には、否定的なものもちらほらあった。それらを目にするたび、彼女は画面に笑顔を向けて喋りながら、映り込まない位置でノートに呪詛の言葉を書き殴る。アンドレ・ブルトンも真っ青の自動筆記だった。
そんな調子で一時間ほど経ったとき、呪文のようにつづいていたお喋りと自動筆記が、突然とまった。
【つかなんでうみちゃんと絡んでんの? ブスのくせに】
私がそのコメントを視認した瞬間、画面がブラックアウトした。
電源ボタンの上に指を乗せたまま、彼女自身も電源が切れたように、それきり動かなくなった。
全国のタワーレコードにあるような愛なんかいらない、だけど取り寄せするのもめんどうだから一生処女のまま。生まれたときからいろんなものを呪ってきたタイプのどうしようもない感じの女の子だからネット上でいっぱいちやほやされてないと無理、死にそう死にそう死んじゃいそうにさみしい。かわいいあの子が大好きで、かわいいあの子が大嫌い。大っ嫌い。骨からかわいいあの子が、細胞からかわいいあの子が、憎くて憎くてたまらない。はやく使い尽くされて失望されて墜落してしまえ。はやく、はやく、ただの大人になってしまえ。わたしはだあれも好きじゃない。自分以外は好きじゃない。
わたし、わたし、わたし、わたしが氾濫する。
あなた、あなた、あなた、あなたはどこにもいない。
醜い自意識に塗りつぶされて、わたしが、わたしが帰ってこない。
「提督ー、提督ー、生きてますー?」
両手でかかえるのがやっとなほど大きいケーキの箱を抱え、私はいつもの部屋に飛び込んだ。あのままぴくりとも動かない彼女が、このあいだのクッキーと同じ店のものを食べたがっていたのを思い出したのだ。
カーテンの向こうの彼女に近寄っていきながら、ケーキの箱を開けてみる。大きいサイズはバースデーケーキしか残ってなくて、カラフルなローソクが十四本、真ん中に「メイ」と書かれたハートのプレートがのっている。一人、(分けてくれたとして)二人で食べるにも大きすぎるそれを落とさないように気を付けながら、ひたすらカーテンをめくる。そして最後の一枚をめくり、数十分前と同じ姿勢のままの彼女がみえたところで何かにけつまずいた。すっころびそうになった私はケーキを守るのに必死で、目についたものにつかまってしまった。布を被った姿見に。
ずるりと音がして、薔薇色の布がゆっくりと落下していった。蜘蛛の巣のように盛大にひび割れた鏡面に、目を丸くしてこちらをみる彼女のすがたが映り込んだ。つまずいた原因らしい翼の生えた美少女フィギュアが転がっていって、彼女のつまさきにぶつかった。取り落としたケーキはうまいことクッションの上に落下して、多少崩れたけれど無事だった。
数秒遅れて、絹を裂くような悲鳴が地下室いっぱいに響いた。
「あの子とわたしのなにが違ったの? どうしてわたしはズレてるの?
顔? 体型? ファッション? 趣味? 運動神経? 性格? 声?
なに? なに? なに? なに? スラッシュはなに? どこ?」
スプリングローズの唇から、花びらが崩れるようにぼろぼろと言葉が零れ出した。
彼女はひざの上に顔をのせて震えている。そうしているとますますちいさくて、この世の住人とは思われないような独特の雰囲気が濃密に増した。
「どうしてわたしはあのなかでうまくやっていけなかったの? どうしてわたしは失敗したの? わたしのなにが違うの? わたしはどこでまちがったの?
スラッシュはいつ? なぜ?
生まれたときから?
どうしてわたしはうまくやっていけなかったの? どうしてわたしはこうなっちゃったの?」
顔をあげた彼女が見つめる先には、モニターがあった。この部屋では見慣れた青い画面。散乱する自意識の破片の下にならぶいくつものちいさな彼女。ばっちりきめた顔でかわいくうつった彼女。
乱暴にマウスのホイールを弾いて彼女はそのうちのひとつをクリックした。拡大される彼女。かわいい部屋でかわいいものに囲まれてアヒル口、それが画面いっぱいに広がった瞬間彼女はマウスをぶん投げて吼えた。
「あーっ! 死ぬ! 死ぬ! 死ぬ! 死ぬ! ブスだから死ぬ! もうやだ! もう生きていけない! ブスだからこんなせかいで生きていけない!」
がんがんがんがん画面上の自分を殴打するたびにそれは揺れ、波立ち、歪みながら彼女はどこまでもかわいくほほえみ、現実の彼女にも痣ができたりはせず。どこまでも乖離した彼女は、彼女であって彼女でなく、いびつなまほうで変身する、⒕歳のまほう少女。
――もう、なんだか、疲れた。私はずるずると床に座り込む。私は、彼女のために生まれ、彼女のために生きている。だけどもう。どうしてあげればいいのかわからない。
姿見に頭をもたせかけてぐったりしていると、彼女は突然、水をえた魚のように跳ね起きた。ブログを開き、猛烈にキーボードを叩き始める。
『今日 わたしのとくべつなおんなのこが とおくへゆきました
彼女は いちばんの友だちで ゆいいつの理解者でした
わたしはまた、ひとりぼっち
今までささえてくれてたみんな、ごめんなさい
わたしはもう耐えられそうにありません おくすり飲んでもぜんぜん眠れません
過呼吸がひどくてくるしい吐き気もとまらない
わたしなんかもう生きてる価値ない
なんでしんじゃったんだろう
ねえ なんで死「死んでねぇよっ!!!」
ひっくり返したケーキが宙を舞って、彼女の頭にそっくりそのまま降り落ちてべっちょりと潰れた。コットンキャンディのウェーブヘアからぼろぼろ落ちる生クリーム、苺、ローソク。私は彼女のきっちりそろってみじんも揺るがない前髪をひっつかんで死んだように光るグレーの瞳を至近距離で睨んだ。
「いーいかげんにしろっ!!」
半口開けた彼女がぱちくりとまばたきをすると上下のつけまつげが重たそうについてくる。
「こーやって部屋から出ないからそんなことになるんだ! 変なもんばっか食って! ネットばっかやってるからそんなことになるんだ! アカウント消せ! 外に出ろ! 日光を浴びろ! おまえは人間だ! 女の子である前に人間だ! 仮想空間じゃ生きれない! おまえは人間だ! 私とちがって人間だ! くそが! 生きろ! 今日も生きろ!」
ひとしきり叫んで、私は手を放した。どさっと倒れ込んだ彼女の瞳には涙がたまっていて、心底困り切ったという顔でぼんやりと、
「このせかいの外じゃ生きれない……」
と呟いた。
私は足で彼女を追いやって、パソコンの前を陣取った。マウスを操作して書きかけのブログを全削除し、ツイッターを開き、歯車のボタンを押す。アカウントを削除。すると彼女ががばっと起き上がって、わたしの腕にすがりついて、
「だめ!」
「うるさい」
「だめなの! わたしにはみんながいるの! わたしが消えたらしんじゃうって子までいるんだよ」
「大丈夫、誰も死なないから」
懸命に腕を引いてくる彼女を無視して、ハートのマウスを握り、
――本当に退会しますか?
問答無用。私は右心房をクリックした。
――アカウントは退会処理がされました。
こうしてインターネットコスモスから星名メイ(⒕)@非実在系まほう少女☆は消滅する運びとなった。八月二十四日の真昼間のことだった。
「……とりあえず、着替えておいで」
彼女の唇についた生クリームを親指でぬぐいとって、私は微笑んだ。
ねえわたし、あの子になれないわたしを許して。
制服が着れないならいやだとか日焼けするからいやだとかのたまう彼女を普通(?)のTシャツとスカートに着替えさせ、ウィッグもカラコンも外させ、なんとか外に連れ出すことに成功した。アカウントが消えたことであきらめがついたのか、彼女はそれほど抵抗せず、最終的にはされるがままになって、黙って私に手を引かれていた。
マンション地下一階の暗い廊下を抜け、エレベーターに乗り込む。中に取り付けられている全身鏡に自分のすがたが映った瞬間、彼女はぱっと目を伏せた。
「何かしたいこと、ある?」
柔らかい右手をそっと握りながら訊くと、
「ディズニーランド」
即答だった。ついさっきまで引きこもりだったとは思えない。
地上に到達したエレベーターから外に出て、エントランスを抜ける。ここまでは誰とも遭遇しなかったが、自動扉の向こうには、行きかう人々が見える。彼女は足を止め、じっとうつむいてしまった。
「ほら、行くよ」
私が強く手を引くと、彼女はよろけるようにしてついてきた。扉が開く。眩しく白い光が、あふれだしてくる。私が一歩踏み出し、つづいて、彼女も、一歩。
かすかに、甘い匂いがした。
「……冥?」
手のひらのあたたかさが一瞬のうちに消えた。驚いて振り返ると、そこには誰もいなくて、カランカラン……っと音を立てて、ピンクのこんぺいとうがひと粒、目の前を落下していった。
このせかいの外じゃ生きれない。
彼女の言葉が脳裏で甘く反芻され、わたしの意識は、ゆっくりと遠のいていった。
地下室にて。
ペンキがはがれ、ものがなくなって、あらわになったコンクリート打ちっぱなしの壁、フローリング。シャンデリアも消えてパソコンも消えて、暗いこの部屋の隅で、アイフォンの光だけが頼りだった。
流れてゆく、青い画面。わたしがいなくなっても変化のないせかい。
【うみちゃんが消えたらしんじゃうよ】
見慣れたアイコンの少女が、インターネット上の天使に向かって、しきりに話しかけている。あぁ、この子。わたしのことが一番好きだといったくせに。
量産型の少女たちは、同じようなすがたをして、宇宙空間の中を今日もかわいく泳ぎまわっている。無数の星クズのように。
そして、あらかた消費し尽くされたら、飽きられてしまう。
今日もかわいいね。いいな、メイちゃんみたいになりたいな。憧れです。もっと自撮りみせて。大好き。わたしの脳裏にいくつもの言葉がフラッシュバックする。そうして最後に脳裏を駆け抜けたのは、どこの誰とも知れない人から飛んでくる、卑猥な懇願。
わたしは服を脱いで胸の谷間を晒し、自分に向けてアイフォンをかまえた。
せっかく今この時代にこの場所にこうやって生まれたのに、このまま消費されずに終わるだなんて耐えられない。もっと消費されたい。使い尽くされたい。
もっと使って、もっと見て、もっと消費して。
どうかわたしのこと消費してください。
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ここにはだれもいなくって
寂しいときたすけてくれるのは
インターネットじゃなくて隣にいる誰かなのに
いつも
何処かにわたしのこの気持ちを満たす
他の誰かがいるんじゃないかって、そうやって
仮想の味方、は、
青とか緑の世界にいつもいる
生身のいろんな色の立体に
満足しない
卑屈になって逃げるのはずるい
認めることで逃げるのはずるい
寂しいときたすけてくれるのは
インターネットじゃなくて隣にいる誰かなのに
いつも
何処かにわたしのこの気持ちを満たす
他の誰かがいるんじゃないかって、そうやって
仮想の味方、は、
青とか緑の世界にいつもいる
生身のいろんな色の立体に
満足しない
卑屈になって逃げるのはずるい
認めることで逃げるのはずるい
卑屈になってみせるのはずるい
インターネット上に天使はいない
誰も信用ならない
何も信じてはいけない
何も信じてはいけない
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